南相馬市を世田谷区議会議員有志で訪問 |
5月31日、東日本大震災の被災地で福島第一原発事故の避難地域を抱える南相馬市に区議会議員有志で訪問しました。
新幹線で福島駅まで行き、ジャンボタクシーを使い飯館村経由で南相馬市に入りました。同行した議員の一人がガイガーカウンターを持参していたため、行路の放射線値を知ることが出来ました。
福島駅付近から東京よりも10倍近い高い数値を示していましたが、飯館村付近を通過するときにはその2倍、ところが、南相馬市に入ると、逆に数値は福島駅付近より低い値を示しました。
また移動するたびに変動する放射線量を体験することにもなり、降下した放射能物質の偏在により数値が変わるものだということを実感しました。
一方、行路途上の地震による建物の損壊被害はそれほど大きくはなかったという印象でした。
私は、1995年1月の阪神淡路大震災の直後に神戸市長田区を訪れた経験がありますが、直下型だった阪神淡路震災と比べると、津波による甚大な被害をもたらした南相馬市の沿岸においても、津波を免れた箇所の家屋の損壊は少ないのです。
にもかかわらず、福島第一原子力発電所において、津波の前に大きなダメージを受けていたという新たな情報ももたらされています。
今回の震災と津波と原発事故については、3者の関係を切り分けつつ、予断を持たずに、具体的な実態解明をこそ進めるべきだと改めて考えさせられました。
地震についてはマグニチュード9という未曾有の数値だけが強調されていますが、津波と地震被害を個別に検証する必要があります。津波を免れた地域については各地の震度と被害の実態を相関させて把握するべきです。
津波以前に原発事故が始まっていたという新たな情報に接する時、いかなる震度で、またいかなる地形地質条件で原発がだめになったのかを知る必要があります。このことは、新幹線等の橋脚の崩壊についても同様です。
既に、発災直後にメルトダウンが始まり、放射能物質が飛散していたという現実の前では、これまでの計測情報は包み隠さず東電や政府は明らかにすべきですし、全国の自治体はモニタリングをきめ細かくおこない、実態にみあった避難勧告や児童の疎開も考えるべきでしょう。
今回、桜井市長の話を聞いて印象に残ったのは、あのプルトニウムを含む燃料棒でプルサーマルを実施していた3号機の爆発音のことでした。この爆発は相馬市内でも驚くほどの音で聞こえ、住民はまさに驚いて自主的に避難を始めたというのです。報道では分からない事実を目の当たりにしたというのはこのことでしょう。