52分授業と山谷えり子氏と関係深い「エコリ」配布の教育長再任に反対 |
世田谷区教育委員会委員任命の同意への反対討論
52分授業と山谷えり子氏と関係深い「エコリ」配布の教育長再任に反対
世田谷区議会会議録【平成20年 12月 定例会-11月28日-03号】
日程第三十二 同意第三号 世田谷区教育委員会委員任命の同意
○大場やすのぶ 議長 これより意見に入ります。
なお、意見についての発言時間は、議事の都合により一人十分以内といたします。
発言通告に基づき、順次発言を許します。
二十三番木下泰之議員。
〔二十三番木下泰之議員登壇〕(拍手)
◆二十三番(木下泰之 議員) 同意三号に反対の立場から討論を行います。
教育委員の人事案件について、私は慎重な立場をとってまいりました。議員生活も四期目になりますが、かつて一度を除いては同意に賛成してまいりました。教育人事については合意形成が大事であると考えてきたからであります。したがって、かつて同意に反対した教育委員についても、再任の際には同意をいたしました。しかしながら、今回の同意三号、若井田教育長の教育委員としての二度目の再任に対しては反対せざるを得ません。
もともと大場区長の時代から教育長であった小野教育長が任期途中であったにもかかわらず、熊本区長があえて教育長として推挙し、平成十六年四月一日より就任したのが若井田教育長でありました。平成十六年十一月議会での再任も含め、私はこの人事に同意してまいりましたが、それ以降の教育長の教育行政における独断専行や議会での振る舞いには目に余るものがございます。
私が議会での論戦にかかわった二つのことを例示しておきましょう。
第一に、五十二分授業の導入であります。この政策は、それまで五十分であった学校の授業を五十二分授業とするものでありました。教育現場での反対や議会での反対、懸念をも省みず、一分一分を大事にさせるとの教育長の号令のもと導入されたものですが、休み時間にしわ寄せされるということもあってこの政策は不評で、現場の抵抗もあって全校に徹底させることもできず、ついには五十分授業に戻さざるを得ないという事態を迎えたわけであります。にもかかわらず、この失態について、若井田教育長は何らの反省もいまだ議会に語っておりません。
第二には、サンケイリビング社が発行する教育分野のパブリシティー誌「エコリ」の問題であります。民間の宣伝紙に対し、教育委員会が編集協力し、父母に配るという判断は、教育委員会での十分な議論も経ずに、教育長の独断専行で行われたものであります。東京都教育委員会や他区教育委員会の先走りに力を得て行ったのでしょうが、サンケイリビングの編集や経営には、元当区教育委員で参議院議員となった山谷えり子氏も関与していることからもいって、世田谷区の公教育の現場でパブリシティー誌「エコリ」を、教育委員会が編集に協力し、父母や生徒にばらまくということがどのような意味を持つかは、ちょっと考えれば、そのことが不適切であるということはわかることであります。加えて、公教育に教育ビジネスをあからさまに持ち込むことの危うさに、教育長たるもの鈍感であってはなりません。
昨年の九月議会では、私を含め他会派も大きく問題を追及したこともあって、その後の編集協力を見合わせることになったわけでありますが、既に独断で交わした契約書により、既に編集協力をした同誌についての配布を強行したのであります。
ところで、このパブリシティー誌「エコリ」は、結局、サンケイリビングの都合でその後数号しか続かず、廃刊という憂き目に遭ったわけでありますが、あれほど教育長みずからが教育効果を喧伝していた同誌廃刊のてんまつについては、区議会文教委員会に報告もされぬままであるし、このことを議会で指摘し、てんまつについての感想を私が求めても、若井田教育長は反省の弁も語ることもありませんでした。
若井田教育長が導入した日本語特区、教科「日本語」に対する評価はいろいろあるでしょうが、私は総合学習の時間を、古色蒼然とした訓読に注いだり、概念さえ定まらぬ「哲学」の教科を置いていることに大きな危惧を抱いております。社会や理科の分野を重んじているはずの総合学習の時間を奪っていることも問題だと言わなければなりません。
時の麻生総理が漢字も読めないし、ボキャブラリーが貧困なわけですから、一般論では訓読も悪くはありませんし、母国語が大事なことは言うまでもありません。が、そうであるならば、教科「国語」を充実し、作文を重視することのほうが重要であると考えております。さらに言えば、自立した判断力を子どものうちから育てるという意味では、メディアリテラシー教育の充実こそ求められております。
しかし、世田谷区で現に行われている教科「日本語」に関して、今何よりも大事なことは、教育現場や父母や私たちの声をよく聞き、独断専行を戒めることではないでしょうか。教育現場や父母からも疑問の声が上がっていることを受けとめる必要があるのであります。
国語、母国語教育は、実際に子どもに考える力、表現する力がつくことになるかどうかが重要なのであって、そのことを第一義に現場から考えることが重要なのであります。教育は話題性で行ってはなりません。教材は十分吟味され、現代の子どもにとって教育に最適なものでなければなりません。また、教える側の能力をこそ引き出さなければできないことであります。私はそういうふうに考えます。
商業主義に目をつぶり、泡のように消えたパブリシティー誌「エコリ」を選択した教育長に、教育の吟味や能力あるマンパワーを組織する資格はないというふうに考えます。
公教育は、商業主義から子どもを隔離するという意味で唯一の場であります。すべてにおいて消費生活のみに浸っている子どもの安全地帯でなければならないし、消費生活以外の人生の意味を考えるところでなければならないというふうに考えております。コミュニティー主義、地域主義というのであればなおのこと、商業主義、消費至上主義とは決別していかなければならないのであります。
新自由主義的な選択、学校選択制をとらなかったという区長の選択は、私は賢明であるというふうに思っております。そうである以上、商業主義、消費至上主義が、いかに子どもの心をむしばみ、教育の場にいろいろな影響を与えているのか、そのことを十分考えなければならない、私はそういうふうに思います。「エコリ」で行われたことというのは、やはりその商業主義が教育現場に忍び込む、そのことを見過ごしたことであります。そのことは非常に重要なことであるというふうに考えております。
さて、教育委員の同意案件に質疑があり、また討論もある、これは異例なことであります。なかなか人事案件では反対はできません。私でさえちゅうちょもします。とりわけ教育委員会や教師は子どもを人質にとっております。さらには、子どもへの評価権を持っている権力者であるということを忘れてはなりません。とりわけ教育委員会は教師をも管理する権力者なのであります。これから反対討論に近い賛成討論が他会派からも続くと思いますが、心して聞くべきであります。「子曰く、過ちて改めざる、是を過ちと謂う」、そして「過ちて改むるに憚ること勿れ」であります。
以上を申し上げ、同意三号への反対討論といたします。(拍手)
○大場やすのぶ 議長 以上で木下泰之議員の意見は終わりました。