保坂区長は選挙時の自らの言葉を噛みしめよ! |
<参考>2011世田谷区長選挙「保坂のぶと」演説
補助54号線反対運動から保坂区政は誕生した。選挙時の自らの言葉を噛みしめよ!―「区長は都知事の、指令の下に動く、管理職ではない」
<2014年10月17日 本会議 決算認定反対討論 私製議事録>
平成25年度一般会計決算認定に反対する討論を行います。その余の特別会計の決算認定には賛成します。
平成25年度に制定された基本構想に反対をしました。二つの理由からです。ひとつは、基本構想に町内会への加入促進が含まれており、安倍内閣の発足とあいまって、「隣組」復活の危険な方向性感じ取ったからです。伝統的共同体の役割はあるでしょう。しかし、そこに胚胎するお上との一体意識や集団主義は意識的に切断していく自覚をもって臨まなければ、いつか来た道に戻りかねません。市民自治を地域から創っていくことこそ必要です。
反対のもうひとつの理由は、基本構想が持つ都市計画のあり方に問題がありすぎると感じたからです。
大場区長の1978年の基本構想には市民自治が高らかにうたわれておりました。その翌年制定の基本計画では、環境水準維持を目的に人口収容の限界は約81万から90万人程度であるとして人口抑制策の政策をとったのでした。
大場区政は2期目以降、急速に保守化し、むしろ土建国家体制に寄り添うようになってしまいますが、このような時期もあったということを見ておく必要があると思います。
残念ながら昨年制定の基本構想には、緑率を33%にするとしてきた区の基本政策である緑33ですら、具体的な実現の方策がありません。再エネはいっても脱原発のビジョンは語られません。
人口抑制論も語られておらず、高層再開発で区内人口が増加し、保育園不足の原因ともなっているのに、対応策を取ろうともしておりません。
具体的に言えば、下北沢や京王沿線の高層再開発等を引き起こす連立事業や明大グランドの移転問題、風致地区二子の超高層開発の継続、団地の高層立替等、区内のこれまでの緑の資産や良好な住宅地やユニークな個店立地環境をかなぐり捨てようとしています。
原点を思い起こしてください。保坂区政は311のインパクトから脱原発、自然共生、大規模再開発の見直しを掲げて、この政策とは真逆の石原都知事の押したところの花輪候補に打ち勝って誕生したのではなかったでしょうか。
忘れてはならないことは、保坂区政は下北沢という自由な息吹をもつ街に依拠して初めて生まれたということです。補助54号線反対の下北沢での運動がなかったら、保坂区長は誕生してはいなかったでしょう。
さて、下北沢の補助54号線、区画街路10号線については、来年3月に事業認可の終了期限がやってまいります。区長がこの問題にどう対処するかを、下北沢を愛する仲間たちが、固唾を呑んで見守っています。選挙戦第一声で区長あなたが言われたように、世田谷区長は東京都知事の中間管理職であってはならないのであります。
事業延伸を前提としたワークショップを行うことなどは許されません。
昨年は小田急線下北沢の連立事業問題が大きく動いた年でした。
3月23日に小田急線が地下に潜り、11月には区長は小田急電鉄と世田谷区が上部利用についてのゾーニング構想なるものを合意しています。しかしながら、計画や構想は変えることのできる段階でこそ具体的に公表して、市民からの批判を仰ぐべきではないでしょうか。本来ならば2000年の連立事業の法定調査の段階で公表すべきでしたが、そうはしてきませんでした。
下北沢の連立事業は地下鉄であるに係らず、なぜ北側の民家の前に4mもの擁壁を屹立させ、その上に小田急電鉄が住宅を建てるのでしょうか。これでは宅地造成です。
しかも事業主体は連立事業は東京都であり線増事業は国の機関とみなされる鉄道機構ではなかったでしょうか。小田急に設計を任すこと自体許せませんし、宅地造成などもってのほかです。北側宅地には地盤をなだらかにアクセスさせ、植栽などを施すべきです。南側上部の擁壁や2mフェンスも見直すべきです。
建運協定の原点に帰り、公的利用を最優先するべきです。小田急の連立分の受益便益は50億円で、これは事業費の6.3%、線増分を含めても最大100億円で、既に駅舎や機械室で上部利用の半分の面積を使っているのですから、区がその余を全部使うとしても最大50億円にすぎませません。買収の条件や世田谷区側の予算をつまびらかにし、その妥当性を世に問うべきです。また、下北沢の全体の再開発計画も手法を含めて、ことごとく示すべきです。
まもれシモキタ行政訴訟では小田急線の複々線化を決めたとする昭和39年決定なるものが虚偽であり、当時の決定は本来世田谷通り下を通り喜田見駅で接続するはずであった地下鉄9号線を小田急電鉄や東京都がごり押しをして、小田急線に沿いに貼り付けたに過ぎなかったことが、論証されてしまいました。
1970年には佐野保房区長が下北沢の小田急線は高架計画とした虚偽に基づく基本計画を公表していた事実は重要です。佐野区長は1969年まで続いた旧都市計画法下で都市計画審議委員でもあったわけですから、その罪は重いといわなければなりません。
その後の区長も、この虚偽を放置し、たとえば下北沢の駅前マーケットの方々には計画線があるかのように装い騙し続けてきたのでした。
補助54号線の都市計画について言えば、最初の都市計画決定は1946年の戦災復興院総裁の決定ですが、旧都市計画法では主務大臣が都市計画決定を行い内閣が認可することになっていますが、主務大臣でない復興院総裁が決定し、内閣の認可はなかったわけですから、2重に違法であり、その違法は現都市計画に継承されています。鉄道も道路もそのいづれもが砂上楼閣の事業ということになってしまいます。
保坂区長、ここは、一度立ち止まって、裁判所に任せるのではなく、自ら、この違法性の検証を行うべきではないでしょうか。
なお、小田急騒音訴訟では高裁和解が7月31日に成立しました。昼間平均65デシベル、夜間平均60デシベルを高架橋から1.2m高いところで測る、高さ方向の規制も含めて小田急電鉄に認めさせたことは画期的なことでした。区長も重く受け止めると答弁した以上、京王線の高架事業の地下化への見直しのため、今からでも遅くはないから、力を尽くすべきだと申し上げておきます。子供の騒音は騒音でないというのはそれはそれでよいでしょう。しかし京王沿線で騒音に苦しむ子供たちのためにこそ、力を注いでいただけないでしょうか。
さて、川場移動教室問題にも触れておかなければなりません。平成25年度も汚染状況調査地域の川場村に小学五年生5000名からを連れて行きました。今年も5000名からの小学生を連れて行くことを継続しています。
豊かな自然に触れようとしても放射能に怯えながら行動しなければならないとしたら、川場村を選ぶこと自体が間違っています。教育委員会が安全だと断定し授業として実施する以上、行かない子は抑圧されます。精神的に不安を感じているとしか評定されるのですから、行かない子供の心は傷つられます。
小学校の卒業式で子ども達が楽しい思い出として、川場村のことをシュプレヒコールで語る場面に遭遇しましたが、行かなかった子の心情が思いやられます。このことを区長に問うたところ、区長のかつての経験、内申書問題で処分を受けたりするのとは違うと強調されました。本当にそうでしょうか。
私は日本の集団主義や右へ倣への風潮は過酷であると考えます。
同調主義を拒否した中村修二氏がノーベル賞で賞賛されたように、放射能問題を真剣に考え、川場移動消失に行かない子やその家族の勇気は賞賛されるべきであると私は考えます。
原発からは150キロは離れた松本市が安定ヨウ素剤を準備しているということを知り、菅谷昭松本市長の英断を支持したいと思います。
*極めて具体的な放射能防護マニュアルは賞賛に値すべきものです。世田谷区の50キロ先には横須賀の原子力空母が存在します。世田谷区こそ先んじてヨウ素剤を用意し、放射能防護を区民全体で学び、原発や核の支配する体制からの決別・離脱を準備すべきであると考えます。
以上、反対討論といたします。
*注)時間切で、*以下の原稿は読めずじまいでした。