保坂のぶと決起集会でエールをおくる |
本日、保坂のぶと決起集会「質問王への質問大会~注文の多い区民立ち」が世田谷区民会館2階会議室で約250名を集めて開催されました。
この内容は、ユーストリームに収録されております。ご覧いただき、区民と保坂氏の熱い思いを感じ取ってください。
本日の集会での、木下泰之の発言は以下の通りです。
<2011年4月15日の保坂決起集会での木下の発言>
世田谷の区議会議員の木下泰之です。
無党派市民という一人会派で四期16年活動を続けております。
今回、先ほど司会者の下平さんからもご紹介にもありましたし、今もご紹介がありましたように、前回の選挙から区民の区長を作ろうということで、いろいろな動きがありましたが、今年もそれがなかなかうまくいかないで挫折してきた。
そして煮詰まってきた時に、話し合ったことはこういうことです。
つまり、3月11日の大震災、極めて深刻な大震災。
これは10年後、20年経ったら、これは歴史の転回点になるよね。
つまり、この時から、やはり何かを変えなければ、
やはり、いけないのではないだろうか。
そういう風に集まった人たちが思ったわけです。
それで、区長選がうまくいくかどうかは分からないけれども、
街頭に出て、とにかく、この危機にみんなが押し黙っている。
そういった中で、ひとりひとり発言していこうよ。
そういった声がまずありました。
そうして、もう一度集まった時に、
3月11日に、変わったよね、変えなければいけないよね。
そうしたらもう一度、保坂さんにいってみたらどうだろうか、
もう一度お願いしてみたらどうだろうかというのが、3月30日の発想でした。
みんなが「保坂さんだ」と云いました。
そして、翌日、下平さんを通じて何人かが会いました。
そこから始まったのです。
ある意味で3月11日のあの困難、
そして、おそらく日本は大転換せざるを得ない。
脱原発時代も迎える。
そういった中で、やはり同じ思いを保坂さんが共有してくれたのだと思います。
私は、保坂さんの記者会見に感動いたしました。
「政治というのは暗闇に一筋の光を探していくことだ」
これは魯迅の言葉を引用されたわけですけれど、まさにその通りだと思います。
今は暗闇かもしれませんけれど、
光明を探していく、光を探していく、
そういうことが共振できたという、その事実が、
保坂さんの決断してくださったことだと思います。
おそらく一人ひとりが、これから変えなければいけないということに思いをはせてですね、
保坂さんを絶対区長にするということで、
まず電話をかけてください。
区民の友達に電話をかけてください。
少ない友達だったら、区外の人に電話をかけてください。
世田谷区は87万人います。
ですから、知り合いの知り合いは必ず世田谷区に返ってくるのです。
そうやって、是非、短期間ですけれど、ぜひ広げていただいて、
これは勝たなければなりません。
かつて世田谷から、そして杉並から、原水爆禁止運動というのがありました。
主婦の署名運動から世界に原水爆禁止運動が広がりました。
それと同じように、ぜひ世田谷区長を作り、そしてお隣の杉並区長さんと手を携えて、自治体を改革する。
そして日本の国を変えていく。
その第一歩をぜひ実現したい。
そのために、皆さん、ひとりひとりが、
お友達に声をかけ、
お友達のお友達を探して、世田谷区民を探して、
短期間のうちにでも、ぜひ、区長にするように、頑張っていこうではありませんか。
よろしくお願いします。