原子力は二十世紀が生んだ人類最大の「癌」であり癌因子である―1981年のクロム環境ガン闘争の宣言より― |
古い資料を整理していたら、「日化工クロム被害者の会」の機関誌「格魯謨」(クロムと読む)の判決特集号が出てきた。クロム訴訟判決は1981年9月28日に下され、被害者原告側の他に類を見ない交渉能力により、会社の控訴を断念させ、一審の判決を確定させた。わが国で初めてガンの因果関係を労災認定よリも拡張して司法が認めた画期的な判決であった。原告団は1か月前の1981年8月30日に、「クロム裁判勝利!職業ガン・環境ガンとたたかう8・30労働者・市民集会」を開催し、宣言を採択している。
機関誌にはこの宣言が掲載されている。
この宣言は、事務局として27歳のときに、私が起案したものだ。
宣言の中に、
「原子力は二十世紀が生んだ人類最大の「癌」であり癌因子である。」
との文言がある。
スリーマイル島の原発事故から2年がたっていたが、1986年のチェルノブイリよりは5年前。既に、原発労働者の被曝は問題にされ、下請労働者の岩佐嘉寿幸さんが1974年に訴訟を起こしている。クロム訴訟は1975年の提訴だ。
31年も前の宣言だが、決して古くはなっていない、と改めて思う。
クロム問題に出会って、私は今の道に進んだが、もう一度、初心に帰ろうと思う。
3・11は時空を超えてこの宣言と結びついている。
環境問題の私にとっての原点から、政治を再構築したい。
以下に、宣言文を掲載します。
「クロム裁判勝利!職業ガン・環境ガンとたたかう8・30労働者・市民集会 宣言」
(1981年8月30日)
癌ほど痛ましく忌まわしい病はない。いつ襲うとも知れぬ癌ほいまや万人の前に立ちはだかっている。厚生省の10万人あたりの死亡原因統計によると1950年と比較して現在癌はこの30年たらずで2倍近くになっている。しかも肺癌は実に12倍を超えている。病死は脳卒中死を抜いて国民の死因の第1位に君臨しようとしており、もはや4人に1人が癌で逝く。だがこの急増する癌は宿命でも私病でもない。
クロムによる職業癌を中心とする職業病をもたらした日本化学工業の企業責任を追及して裁判を闘う日化工クロム訴訟原告団は、本日、癌に苦しみ、癌を憂う全国の仲間とともに集い、各地の職業癌・環境癌の現状とその闘いについて報告し合い交流をかわした。
新日鉄八幡ではタール等の有害粉じんによる124名の癌死について労災認定闘争が闘われており、43名の肺癌死者に対する認定を勝ちとっている。この1年間に同工場のコークス工場では現職労働者3名が逝ったが、全員が癌であった。さらに退職者3名を含めると6名が癌で逝った。ここでは労働者がタール粉じんを防ぐのにタオル二枚が支給されるのみである。タオルに付着した一週間分の粉じんを分析すると両切ピース6600本分の3・4ベンツビレンが検出された。癌は工場の塀を越え八幡市民をも脅かしている。すでに1958年の段階で八幡市は空気のきれいな福岡市西部にくらべ高率の癌発生率をみており、肺癌の罷患率は約3倍、上気道癌は約6倍にも達している。
タールによる職業病は製鉄所のみならず黒鉛電極工場にも多発している。74年の「カーボン労組による職業病対策会議」の調査によると14事業所1496名のカーボン労働者の内、肺ガンの前段症状として労働者に恐れられている「ガス斑」の出ている者が全体の1/4にあたる320名にものぼっている。京都福知山の昭和電極では合化労連昭和電極労組がタール・ピッチ等によるじん肺・ガン訴訟闘争をたたかい本年10月に判決を迎えようとしている。
宮崎県の土呂久では慢性批素中毒に認定された住民134名のうち21名が死去しているが、1/3にあたる7名が癌であり、内5名が肺癌であった。この肺癌死者と生存認定患者に含まれる皮膚ガン患者は、国が様々な制限をつけながらも公害との因果関係を認めた初めてかつ唯一の癌患者である。廃止鉱山「亜批焼谷」土呂久には、住民被害に先行したであろう鉱山労働者の職業ガンを含めて、批素による末曽有の癌被害の歴史と現実が埋れている。
福井県敦賀原電の下請労働者岩佐氏が起した原発労災訴訟は原子力発電および原電内労働がいかにずさんであり、労働者にそして住民にいかに発癌の危険をもたらすかを警告している。1977年の社会党樽崎弥之助氏(当時)および原水禁の調査によると1966年7月から77年3月までの間に全国7基の原発内労働で作業後に死亡した労働者75名の内、実に35名が白血病を含む病死である。原子力がいかに人類を癌の危険にさらすかは、広島、長崎の被爆者の悲劇・ビキニ水爆実験被曝の久保山氏の例をひくまでもない。
タール・ヒ素はクロムとならぶ古典的癌原物質であり、原子力は二十世紀が生んだ人類最大の「癌」であり癌因子である。
ベンジジン、ベーターナフタルアミン、4-アミノジフェニル、4-ニトロジフェニル、ビスエーテル、ベンゾトリクロライド、石綿、ベンゼン、塩化ビニル、オーラミン、マゼンタ、ニッケル、すす、鉱物油、アスファルト、パラフィン、これらはクロム・タール・ヒ素・放射線をも含め労働省が現在ガン因子としてみとめる物質である。中でもベンジジンによる被害は凄まじい。すでに労働省が労災として認定を認めたぽうこう癌患者だけでも1979年までに280名おり、ここ数年来は毎年20名以上が新たに認定を受けるに至っている。塩化ビニルによる職業癌は1975年クロムとともに社会問題化したが三井東圧化学労働者一名が肝血管肉腫で労災認定を受けたのみで水面下に沈んでしまった。現在も水俣チッソでは合化労連新日窒労組によるねばり強い労災認定闘争が闘われている。
われわれは、本日の集会で全国の職場にそして地域に深刻な職業ガン・環境ガンの被害が現実のものとなっていることを再度確認した。工場で生産、あるいは発生した癌原物質は、まずは労働者を、そして大気汚染・食品公害・薬害といった様々な経路を経て市民を発癌の危険にさらしている。われわれは、癌原物質・因子に包囲されている。職業癌・環境癌と対決する根元的な闘いがいまこそ必要とされている時はない。だがこの闘いは諸についたにすぎない。
このような状況の中で、日化工クロム職業病訴訟は職業癌の企業責任を徹底追及した最初の大規模訴訟としてこの秋、判決を迎える。
クロムは18世紀初頭からその発癌性が知られていた。1937年にはドイツではすでにクロムによる肺ガンを労災認定の対象ともしている。
だが日化工はこのクロムの発癌性を熟知していながら、事実を労働者から隠蔽してきた。そればかりか「鼻に穴が穿かなければ一人前でない」という労働者人格を破壊する忌むベき言葉を流布しながらクロム被害を拡大させてきたのである。1975年にクロム公害・職業病が社会問題化してから6年の間にも判明している200余名の日化工クロム工のうちすでに44名が癌で死去し、あるいは癌を宣告されている。日化工70余年の歴史はまさに癌死者の葬の上になりたっている。クロム裁判は犯罪企業日化工の企業責任を徹底追及した裁判である。
国民の4人に1人が癌で逝く。
だが日化工クロム工は4人に3人、あるいはそれ以上が癌で逝く。
国民の間に急増する癌を抑止し、減少させてゆくためには癌を著しく増大させている癌原物質および癌原因子を生産の過程からチェックし、生産・使用禁止をふくめて厳しく規制管理することによって初めて可能である。これは職業病・職業癌を企業の塀の中の労使間の問題として閉じこめてしまうのではなく、真に国民的課題として提起し、追及することによってのみ実現される。
クロム訴訟がこのようなものとして裁かれたとき、癌原物質・因子を生産段階から社会的に監視・規制し癌増大の危機から人類を救うたたかいのひとつの橋頭堡が築かれるものとわれわれは確信する。
日化工クロム職業病訴訟への公正な判決を裁判所に期するとともに9月1日からの「がん征圧月間」を前にわれわれは全国の労働者、市民に訴える。
クロム裁判勝利!
全国のガン闘争勝利!
職業ガン・環境ガンの企業責任の追及を!
労働者こそガン制圧闘争の先頭に立とう!
労働者・市民の連帯で職業ガン・環境ガン闘争をすすめよう!
右、宣言する。
1981年8月30日