違法オンパレードの連立事業は抜本見直しを!!第2次―補正予算への反対討論 |
違法オンパレードの連立事業は抜本見直しを!!
―― 第2次補正予算への反対討論
平成26年度世田谷区一般会計補正予算(第2次)につき反対の立場から討論を行います。
私は保坂区政が選挙公約に反して小田急線連立事業や京王線連立事業、関連する道路事業と再開発事業、二子玉川の超高層再開発事業や外環関連の事業などを進めていくことや、脱原発と称しながら放射性物質汚染対処特措法に基づく汚染状況重点調査地域の川場村で移動教室を続け5000名からの小学生を送り出すにことに反対してまいりました。
したがって、補正の際には、これらの事業を見直し、減額をおこなうことを繰り返し求めるものです。今回の補正にはそのような姿勢は微塵も見られません。そればかりか、京王線の連立事業がらみで街づくり側道の予算が2億円ほど増額補正されるということでありますので、この一点をもってしても賛成するわけには参りません。
すでに私は何度も述べてまいりましたが、小田急線、京王線と続いてきた連続立体交差事業は世田谷区における都市計画行政の要となるものであり、公共事業の規模から行って日本における最大級の公共事業であると考えています。
京王線の連立事業に関しては、2011年3月11日の東日本大震災の影響で都市計画案説明会が延期された後に区長選で保坂候補が公共事業見直しを訴えて当選したことから、その延期された説明会の取り扱いが新区長である保坂区長の最初の仕事として注目されていました。
東日本大震災では新幹線の橋脚が崩壊したりしたため、少なくとも、高架構造物の安全性の再検証が必須であったはずですし、選挙公約からいっても見直しの対象であるはずの京王線の高架による都市計画案説明会をすぐに実施することはないと信じていました。
しかしながら、保坂区長は当選直後、区長の就任式も済ませぬうちから、京王線の説明会実施をなぜか決めてしまっていました。
選挙戦直前に京王線沿線住民の集会の席上で事業見直しを約束し、拍手で送り出された光景をまざまざと思い出します。笹塚からつつじヶ丘までの高架事業に反対し、下北沢や調布で既に行われているように鉄道の地下化の実現を望む沿線住民が保坂支援で選挙戦を、最前線に立って闘ったことをよもやお忘れでないと思います。
にもかかわらず、保坂区長は当選直後に沿線住民を見事に、鮮やかに裏切ったのです。これが95%は前区政を継承するとした「闘う区長」、失礼、「実務派区長」の実態であります。
さて、昨日、小田急線下北沢地区の補助54号線の事業認可取り消しと連続立体交差事業の無効確認を求める訴訟、いわゆる「まもれシモキタ!行政訴訟」の第33回口頭弁論が開かれました。この訴訟で戦後日本の都市計画すべてに共通する重要な違法問題が法廷で浮かび上がりました。
道路予算で組み立てられている連続立体交差事業としては小田急線の事業も京王線の事業もその構造は共通している。また、ともに複々線化を伴う事業であるということを頭に入れた上で聞いてください。
昨日の法廷では補助54号線の最初の都市計画決定は昭和21年(1946年)4月25日に戦災復興院告示第15号として告示しているが、この決定が違法であると原告側が論証しました。
日本の都市計画制度は1969年6月にいたるまで旧明治憲法下の都市計画法が適用されており、旧都市計画法3条は「都市計画、都市計画事業及毎年度執行スヘキ都市計画事業ハ都市計画審議会ノ議ヲ経テ主務大臣之ヲ決定シ内閣ノ認可ヲ受クヘシ」となっています。ところが戦災復興院総裁は発足時は大臣として扱われていたものの、昭和21年(1946年)3月30日の組織改正で、戦災復興院総裁は大臣資格はなくなっていたというのです。
結局、大臣の資格を欠く総裁が昭和21年(1946年)4月25日に違法に決定、告示をし、さらに昭和22年(1947年)11月26日に変更決定、告示をしたのです。そればかりではありません。旧都市計画法下では都市計画は「内閣の認可を受クベシ」となっているが、補助54号線は旧法下で6回も変更決定を繰り返しているにもかかわらず、「内閣ノ認可」を示す資料は存在しないのです。このことは旧法下で違法を繰り返してきたことになり、その違法道路が現在まで継承されているということが、明らかになってしまいました。
さて、京王線の連続立体交差事業は放射第23号線、補助154号線、128号線、133号線、215号線、216号線、217号線と在来複線鉄道を高架にして連続立体を行う事業でありますが、そのいずれもが戦後の旧法下に都市計画決定告示を行っており、「内閣ノ認可」を受けていない可能性があるということです。この中で、補助128号線においては22年(1947年)11月26日に補助54号線の変更決定とあわせて大臣欠格者となった戦災復興院総裁が戦災復興院告示第128号で決定、告示をしていますので、「内閣ノ認可」は存在していないのであります。
ところで、行政側のこれまでの公式見解では、小田急線の複々線化を1964年に都市計画決定し、京王線についても新法成立直前の1969年5月に複々線化で都市計画決定をしたことになっています。ところが、小田急線については下北沢駅前マーケットのかたがたが1980年代にどこまで複々線の計画線が引かれているか教えてほしいといっても、行政は都市計画図面を見せてくれないといっていたこと、また京王線沿線のマンションのかたがたが、同じく同様に行政側から計画線見せてもらえないと聞いていたので、私も以前から疑問に思っていました。
区議になってから計画図を行政に請求しましたが、地下鉄線を小田急線に、京王線に、貼り付けたのみの図は示されましたが、小田急線も京王線も新たな都市計画変更以前の都市計画決定の際の幅を持った図面は見せてもらったことはありませんでした。
それもそのはずです。シモキタ訴訟では、小田急線がそもそも複々線として決定などされていなかったことが、昨日、提出した証拠で決定的になってしまったのです。昨日提出された証拠は1966年の補助54号線の都市計画変更決定の際の原簿です。当時、補助54号線は小田急線を跨ぐように都市計画変更されたわけですが、この原簿では1964年に決めたはずの複々線を跨ぐ形にはなっておらず、鉄道の都市計画図は複線のままで、この部分のみを跨ぐ形になっていたのです。
同様のことをこの壇上から紹介したこともありますが、その際は間接的な図面での論証でしたが、今回は原簿であり、決定的だということを申し述べておきましょう。
かくて、小田急線の1964年の複々線決定は虚偽であることが明らかになりました。京王線の1969年決定についても、当然、その複々線決定の虚偽性が深く疑われるといっておかなければなりません。
小田急線も京王線も、1962年の都市交通審議会答申の環八外側への地下鉄網敷設決定を私鉄が嫌がり、圧力をかけて、小田急線や京王線に地下鉄路線を貼り付けるように無理に変更させたのが1964年の小田急線の都市計画決定、1969年の京王線の都市計画決定であったからに他なりません。
小田急線の事業も京王線の事業も違法のオンパレードなのです。
先の一般質問では小田急騒音訴訟の高裁和解を世田谷区政として生かすことを区長に求めました。区長は和解だが反射的効果があり、重く受け止めると答えています。
そうであればこそ、小田急線の下北沢の道路事業のみならず、京王線事業についても抜本的に見直すべきなのです。
補正予算に高架を前提とした京王事業の街づくり側同事業は中止し連立事業を地下鉄化にむけて見直すべきなのです。
それが実務派区長、闘う区長の務めではないでしょうか。
以上、補正予算への反対討論といたします。