天に唾するな―保坂区長は自らの「言説」に責任を持て |
今回の一般質問で問題にした「下北沢再開発は石原都政と小泉改革の醜悪なコミュニティ破壊」との言葉は保坂氏が2010年5月にTwitterで示したものです。
私が2011年に保坂元代議士を区長に擁立したのは保坂氏自身にこの認識があったからこそ。今や全ての公共事業問題で真逆となり、原点でもあったはずの下北沢問題が怪しくなったことから、最後となる一般質問でこのことをいの一番に問いました。この問題に絞って、【解説】をしておきます。
天に唾するな―保坂区長は自らの「言説」に責任を持て
過去の言説は認めたが、変節の言い訳に終始
2月25日に本会議で区議生活として最後となる一般質問を行いました。保坂区長の公約違反の政治責任を問いましたが、最初の答弁ではこのことには一切触れませんでした。
このことを糾弾すると、再答弁では保坂区長は、
「私は私で国会におきましてですね、国会議員として公共事業のあり方の問題、開発のあり方の問題について考えてきました。したがってそのことについて下北沢のお話を聞いて、かつてツイッターに発信したとかいうことについては事実であります。」と、かつては「下北沢に巨大道路はいらない」「下北沢の再開発は醜悪なコミュニティ破壊」といっていたことは認めました。
私が質問で聞いたのはその考えは捨てたのかという根本的な問いでしたが、それには答えようとせず、ここで言い訳が発せられます。
「ただ木下議員と私の違いは、多分、国会においても小数政党に属していましたので、政策の実現というのは数だけではできません。したがって、児童虐待防止法であるとか、あるいは超党派で取り組むべき案件についてですね、これはあらゆる政党・会派にお話をしてまとめていく役割、たとえば裁判員制度のあり方だと。大変幅広くそういった活動してきました。やはり国会議員当時も政策を実現すること、つまり政治はベストを目指すけれども、つまりベターでより良い選択をどこまでしていけるのかが肝要だと考えてきています。」
2010年参院選時の約束は今でも生きている
しかしながら、このいいぐさは解せません。
「下北沢に巨大道路はいらない」「下北沢の再開発は醜悪なコミュニティ破壊」と語ったのは当時社民党にいた保坂氏ですし、保坂氏自身の見解であり、私が語ったわけではありません。
そして、この見解は、2010年の参院選の際の 社民党の公式見解(2010年7月7日)でもあったのです。
それにも関わらず、自らの言葉に責任を持つどころか、再答弁で、当時は社民党に属しており参議院選挙では社民党自身が「下北沢の再開発は醜悪なコミュニティ破壊」との保坂氏の主張を追認し、連立事業と補助54号線道路の凍結見直しを約束さえして比例代表区に出馬(落選)した立場を棚に上げて、「私はあなたとは違うのだ」と言わんばかりに、わけのわからぬ「説教」を始めたのです。
このスリ替えの説教の謂いに私は激しい抗議の言葉を発せざるを得ませんでした。
ちなみに、2010年の参議院比例代表区で福島瑞穂氏(当時は党首、現職)と吉田忠智氏(現党首、現職)は当選しています。保坂展人氏は落選しましたが、当時の肩書きは社民党東京副代表でした。2010年7月7日の社民党の回答は今でも生きており、公党の政策約束であることは間違いありません。
論理のスリカエは許されない
保坂氏は、論理整合性を保とうとするならば、社民党や保坂氏自身が持っていた「下北沢に巨大道路はいらない」「下北沢の再開発は醜悪なコミュニティ破壊」との認識が間違っていたとするか、考え方を変えたとするのかどちらかしかありません。
さて、どちらなのでしょう。これを不問にするのは、自らの言葉や信念に責任を持っていないということになるのです。本人が答えていないから本当のところは分かりませんが、客観的に言えそうなことは、世田谷区長でなかったときは、「下北沢に巨大道路はいらない」「下北沢の再開発は醜悪なコミュニティ破壊」と考えていたが、区長になった今はそう考えなくなったということなのでしょう。
立場によって考え方を変えてしまうことを「立場主義」あるいは、「オポチュニズム」というのではないでしょうか。保坂氏はあたかも以前から、下北沢の問題について簡単に調整可能な「街づくり」の課題であると考えていたかのように、スリカエて、開き直りました。かつて保坂氏が「公共事業チェック議員の会」の事務局長であったにもかかわらず、土建国家との闘いの必要性を忘れてしまったかのようです。
いずれにしても、下北沢に通す補助54号線はいつの間に「巨大道路」ではなくなったのでしょうか。「高層ビル建設を可能にする仕掛け」に道路財源が投入される「連続立体交差事業」のシステムが変わったわけではありません。保坂氏の立場が野党政治家から地方権力者に変わっただけです。それでいて、私に対し二項対立主義のレッテルを張り、原理主義者呼ばわりです。
今回の一般質問の第一問目の問は、「下北沢再開発は石原都政と小泉改革の醜悪なコミュニティ破壊」との認識は捨てたのか。というものでした。
「二項対立」としか見れないのは、むしろ保坂氏
この物言いは保坂氏のものですが、極めて社民党的であり、政治的でもあるとも思います。私にいわせれば、下北沢の再開発については連続立体交事業のシステムと密接に絡むものであるだけに、日本の道路を主軸とした開発構造の問題だと捉えており、社民党が与党であった時も推進してきたのですから、石原都政や小泉改革の問題だけに特化できるものでもないと考えています。「醜悪なコミュティ破壊」の方は保坂氏が名づけたのでしょうが、よくできたコピーであると考えています。
私は保坂区長がかつて言っていたように、「下北沢に巨大道路はいらない」と今でも確信しています。なぜならば、下北沢は小田急線と井の頭線が交差して発展してきた街であり、そのために自動車交通に依拠せずとも、むしろ依拠しないからこそ独自の発展を遂げてきた街だと考えています。すぐ北には井の頭通りがあり、またすぐ南には淡島通りがあるわけですから、新たな東西方向の幹線道路は要りません。既存の街を大きく分断することになる補助54号線を整備しない方が、路地の街の文化を継承発展させることになると考えています。
補助54号線を止められない理由を語れ
補助54号線を造らないという選択をするからこそ、地下に潜った小田急線跡地の利用は公共空間として延焼遮断帯として役立たせるよう、緑化を中心に利用を進めるべきであると考えています。税金を投じてできた新たな空間は公共利用優先であるべきであり、公共利用計画を地方自治体が企画すれば電鉄会社は交渉に応じなければならないとしており、国の要項、いわゆる「建運協定」にも整合するものです。
そして、このように考えることは、1993年に細川政権が発足して以来、最近まで云われ続けてきた公共事業の抜本見直しや環境共生都市の有り様とも合致するわけで、決して一党一派に偏った選択というものでもない未来志向の考え方なのではないでしょうか。
問題の本質が理解できないのではないか?
残念ながら保坂区長は連立事業の制度の成り立ちや、現在行われている下北沢での事業の法律上の問題点さえよく知らないようです。買取権限や賃借権限はあるのですから、地下鉄化した跡地にわざわざ高架構造物を作るなどという愚かな選択をせずとも、自然面を生かした緑化事業は実現できるはずです。
連立事業の事業費は794億円ですが、この事業は税金で成り立っている事業であって、小田急電鉄は事業便益分として50億円しか負担していません。この過小払いの問題を考慮しながら、上部利用の買収や賃貸交渉に入れば、小田急の私的利用を許さず、公共空間として使うことは制度上は可能なのです。
補助54号線について言えば、熊本区長時代に強引に決めてしまったものが、未だに実現できず、本年3月末に事業期間を終了するわけですから、しばらく凍結して議論を深めるという措置も取れたはずですし、区民に要るか要らないかの是非を問うこともこの機会にできたはずです。
ところが、保坂区長は補助54号線の整備についてのワークショップは企画しても、期間延長の是非を議論することさえこのワークショップでは封印しました。
立場が変われば「醜悪」が美しくなるのか
知恵も絞らず、また、88万区民を本当の意味での味方に付ける政治力も発揮しようとせず、物事を二項対立のままとしてきたのは保坂区長自身なのではないどしょうか。
公約に「大規模公共事業からの転換」を掲げ、下北沢に巨大道路は要らない。醜悪なコミュニティ破壊を許さない。と一度は評定した区長が、なぜ、かくも簡単にその志を紙屑のように捨て去ってしまうのか理解に苦しむところであります。
自らの言説であるのみならず、公党の約束にまで高めて参議院比例代表選にさえ望んだという責任さえ自覚せず、区長選での公約を反故にして、保坂区長が、ただただ真逆に走るとすれば、それは天に唾することとなるでしょう。
3月10日から始まる予算委員会では、核心に迫った質問を保坂区長に投げかけてみる決意です。