下北沢小田急線事業の1970年基本計画での高架計画と全会派一致の地下化決議の矛盾を問う |
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1970年の12月、区議も参加して作った基本計画は下北沢の小田急については高架としているのに、一方で同時期に区議会で全会派一致の地下化決議を上げている。この不可解さを究明しようと基本計画の40回にわたる審議会記録を求めたが、記録は「紛失」。あり得ないことだが、保坂区長はこの事態を調査さえしようとしない。ここに問題の核心がある・・・
残念ながら、今回も、言い足りないうちに、時間切れ。世田谷区長が裁判で指摘されている法令上の矛盾も精査しない責任を問おうとしましたが叶いませんでした。
世田谷区の1970年「基本計画」で下北沢小田急線が「高架複々線」とされたのは何故か、を問う
<以下議事録>
木下委員 私は基本計画、総合計画とか基本計画、これについて区長が新たに定めた時にですね、過去を遡って色々調べたんですよ。すると重大なことが分かったんです。
この1970年に制定された世田谷区総合計画、基本計画、緑と太陽の文化都市を目指して。これ世田谷区のですね最初の基本計画なんですね。これは佐野区長の時に定めたやつなんですが、この基本計画を読みますとですね、下北沢については高架計画ってなってるんですね。で高架下に駅前マーケットを入れるプランが出てるんですけども、これは事実としてどうでしょうか? まず、その事実判断をください。
笹部庁内連携担当課長 はい、ただいまですね昭和45年のですね12月に策定されました世田谷区総合計画の中にはですね下北沢のですね、高架を前提とした計画が書かれてございます。以上です。
木下委員 ところが昭和62年、1987年になってからね、小田急線沿線街づくり研究会というのが、これ委員長は川上秀光、それから事務局長は林泰義さん。これが下北沢を中心にですね連立事業についていろいろ検討した。世田谷区が検討したんですが、この中にはですね代々木上原から喜多見まで昭和39年に構造形式はおおむね棟上げ式で、うち下北沢付近と成城学園前駅付近だけが地表式となっていると出ていて、それが出発点になって検討されているわけです。
そうすると、最初の基本計画というのは、これは法令に違反してですね高架でもない、地表式であるものについて高架だということが大々的に書かれているわけですよ。こういうことは許されることなんでしょうか? 法令に基づいて仕事をしなければいけない行政としていかがでしょうか?
笹部庁内連携担当課長 当時昭和45年、総合計画の策定に至る過程でございますけれども、整備領域の方でですね直接聞いたところですね昭和39年に都市計画決定で通知、地表方式というような都市計画決定がございまして、そのあとですね計画を策定する過程において総合計画の中では高架式を前提としたというような言い方が書いてある……のがございます。そのようなですね、経過がどのようになったかということは承知してございません、以上です。
木下委員 重大な問題だと思いますよ。法令に準拠しないで勝手にね高架であるってことを書いて、それが基本計画としてあった。それが16年も放置されてたんですよ。
世田谷区議会の方でもいろいろ議事録なんか読んでいるとですね出て来ないね。それが出てくるのは1986年の川上委員会の中間報告で、それは出てくるわけですけれど、こういうことが許されるんですかね? 副区長どう思いますか、これ?
板垣副区長 はい、昭和39年の都市計画は地表式で決定されております。それで昭和45年の区の総合計画の際に高架化ということを、記載したりしてるということは、つまり当初から開かずの踏切の解消に向けてまちづくりをどうしていくかということが、議論になり、それを踏まえてこれは推測でしかありません。
私も資料が出てきませんし、今あるもので推測する限りは、開かずの踏切解消のためには立体化を推進し、それは当時としては高架化というのが、この中に記載されたのではないかというふうに推測しております。以上です。
木下委員 小田急線の高架化が実現することにより、南北商店街が分断され、顧客の吸引にマイナス面が出ることが予想される。あるいは都市計画幹線街路の計画、小田急線の高架化など、この地域を一変させる要因が多々ある。これらの条件を踏まえた上で駅前広場の新設に伴い、広場にあたる商店は小田急線高架下に収容するって書いてあるんですね。つまりね、高架を前提としてこれを区民にもばらまいたわけですね。そうしたら当然高架だと思って反対運動が当然起きる。
ところでこの策定した1970年12月、ちょうどねこの時に議会で12月7日にですね、全線地下化決議をあげてるんですよ。しかもこの総合計画の委員の中には区議会議員も入っている。それから川上秀光さんも入っているんですね、そういう専門家がいながらね、この時は高架だというふうに、それで16年後にはね地下化が前提だということを言っている。地下化じゃない、平面だと言っている。
これは非常におかしいんですよ。それでねぇ、これは裁判なんかでもいろいろ問題になっているけれども、実は最初の1964年の39年の都市計画というのが、地下鉄をはりつけただけであってね平面とも高架とも地下とも決められないようなね、代物だったってことがね良く分かるわけですよ。
そうでなければですね。区会議員が入っていてですね高架化が望ましいって決めたやつになんで地下化が決議されるんですか? 11人も入っているんですよ、区会議員が。どう説明しますか、これ?
板垣副区長 はい、あのぅ当時の資料、残された資料が限られたものでしか私共も拝見していませんし、木下委員からのご指摘を含めていろいろ調べておりましたが、これ以上のことはよくわからないという状況ですので、まぁ一方で地下化を望ましいということを一方で動きがあったのだろうとは思います。
その決議が出てるってことは、見ましたので、拝見させていただきましたので。ただその総合計画との整合性という意味ではちょっと判断しかねます。分かりません。
木下委員 時間が無いので申しあげておきますけど、本当に世田谷区の憲法ともいうべき基本計画を立てながら、その土台が全く成り立っていない。法令に基づいていない。
そういうものがまかり通っていた。で、これまで曖昧にしてきたということがあってですね。その中で下北沢の人達は翻弄されてきたわけですよ。そういったことについてことわけてね、何回もこういったことについて指摘してるのに調べようともしない。これが世田谷区政の特徴だと思いますよ。法令に基づいて仕事をしている以上は、こんな明白なおかしなことがあったら、これは究明しなければいけない。究明しなければいけないですよ。それで区長も無頓着過ぎますよ。
例えば今度60億余計に出して7年も延長して下北沢の補助54号線と駅前広場について延伸するわけだけれども、それについて
チャイム
委員長 以上で無党派・緑の質疑は終りました。