平成27年度予算への反対討論・・・さようなら |
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保坂区政不信任から、全予算に反対
私は保坂区政不信任の立場から上程された全ての予算に反対いたします。
私は保坂区長の公約違反の政治責任を問いましたが、かつては「下北沢に巨大道路はいらない」「下北沢の再開発は醜悪なコミュニティ破壊」といっていたことを区長は認めたうえで、一般質問答弁で次のような言い訳を発しました。
「政治はベストを目指すけれども、つまりベターでより良い選択をどこまでしていけるのかが肝要だと考えてきています。」
かつて保坂代議士は「公共事業チェック議員の会」の事務局長であったにもかかわらず、土建国家との闘いを忘れてしまったかのようです。
自ら語っていた「高層ビル建設を可能にする仕掛け」に道路財源が投入される「連続立体交差事業」のシステムが変わったわけではありません。保坂氏の立場が野党政治家からより実権を持つ地方権力者に変わっただけです。
私は、補助54号線を造らないという選択をするからこそ、地下に潜った小田急線の上部空間は延焼遮断帯として緑道化すべきであると考えています。連立事業に関する国の要項、「建運協定」は、公共利用計画を地方自治体が企画すれば電鉄会社は交渉に応じなければならないとしていますが、事業費のほとんどを公共側が持つ事業であるだけに当然です。ちなみに、連立事業の事業費は794億円ですが、税金で成り立っている事業であって、小田急電鉄は事業便益分として50億円しか負担していません。
また、予算審議を通じて、分かったことですが、区長と懇意な林泰義氏がかつて委員として参加した「小田急沿線街づくり研究会」の1987年6月の報告書には、下北沢地域の小田急線を地下化にした際には赤堤通りを世田谷代田駅から地下鉄化された事業地上部を通し、鎌倉通りの交差部まで延伸させる計画が書かれていたのです。このことは何を意味するでしょうか。連立事業は都市側が立体都市計画として予め立案するべきものなのです。
地下鉄化した上部空間に立体緑地と称する高架構造物を作るなどという愚かな選択をせずとも、自然面を生かした緑道を実現できるはずです。2000年の都の連立事業調査報告書においても、2002年に区が委託し地元住民の意向をもとにつくられたとする「駅周辺街づくりの基本計画図案」でも平面の幅広の緑道が構想されています。
補助54号線について言えば、本年3月末に事業期間を終了するわけですから、凍結して議論を深めるという措置も取れたはずですし、区民に是非を問うこともできたはずです。ところが、保坂区長は凍結・見直しの絶好の機会を生かすこともせず、自らの手で事業認可延期を選択しました。なぜ、かくも簡単に区民への約束を捨て去ってしまうのか理解に苦しむところであります。これがベターな選択なのでしょうか。単なるオポチュニストに過ぎません。
脱原発区長との称号の怪しさも述べておかなければなりません。今回も汚染状況重点調査地域である川場村の移動教室に毎年5200名の児童を連れてゆく川場村移動教室からの撤退を訴えましたが区長は聞く耳を持ちません。加えて米軍関与の調査で関東にストロンチウムが飛散したことが明らかになったことを示したうえで、川場村調査の見直しと区内でのストロンチウムやプルトニウムを含む土壌調査の実施を迫りました。
しかしながら、区側の答えは政府調査をうのみにしストロンチウムやプルトニウムは飛んでいないとの一点張りですし、区内土壌調査についてはセシウムでさえ未だに実施しようさえしていません。一方、区内の個人宅への太陽光発電設置事業は1年目が2割しか設置できず、翌年からはほとんど破綻しているのに、区民や民間の努力で太陽光発電が増えたことをもって事業は進展したという始末です。
不適切な障害者グループホーム業者が選定されたことを問題にしました。コゲラというNPOの理事長がネット上で100万円を出資すれば上場後は930万円になるとの宣伝をして職員を募集するという倫理上問題のある行為をしていたこと等で、事業地周辺の住民から問題にされ、結局は撤退せざるを得ませんでした。ところが選定をした区の対応は問題ないとの答弁に終始しました。このNPOが平成24年度に東京都の実地調査で11項目もの改善命令を受けていたことを指摘しても、当事者の都への答弁をもって了とした杜撰さにはあきれてものが言えません。
外環や二子玉川超高層再開発の見直しも実現できなかったことは周知の通りです。永らく凍結されていた恵泉裏通りの事業も今や保坂区長の手で建物収容手続きがなされるに至っています。京王線連立事業について申し上げておきましょう。高架反対の住民集会で拍手をもって送りだされた保坂氏は当選直後、早々と高架容認に寝返りました。災害対策の総点検も公約でしたので、311で中断していた高架計画の説明会の再開を中止し、東北新幹線の橋脚の崩壊を理由に事業の見直しを東京都に働きかけることを京王沿線住民が求めたのは当然のことでした。しかしながら、この希望は当選とともに踏みにじられ、就任式での前政権からの95%継承との発表となったのです。
さて、区長区議選は目前です。熊本区政95%どころか99%もいうことを聞いてくれているとの評価を下し、これまでも保坂区政のすべての予算に賛成した自民党が対立候補をたてることになりました。しかも対立候補は、下北沢連合商店会長で補助54号線の地権者だった久保田英文氏であるというから開いた口がふさがりません。どこに争点があるのでしょう。
一方で共産党は前年度までは一般会計予算に反対していたにもかかわらず、今回は賛成に回りました。対立候補を立てないからだろうが、公共事業見直し公約を踏みにじったことを、問題にしてきたはずだが、問題は解決したのかと問いたい。
鼻をつまんで投票ということもあるでしょう。安倍自民党推挙の対立候補であれば、そうせざるを得ないところもあるし、私の支持者もそうする人は多いだろとは思います。しかしながら、今回の共産党の予算への賛成は、共産党への不信感と失望をもたらすこととなるだろうことを言っておきたい。
社民党にもいいたい。保坂氏も出馬した2010年7月参議院選での下北沢の運動体への約束はお忘れになったのか。補助54号線の凍結・見直しが党としての公約であったはずであります。
2011年の東日本大震災と原発事故は、パラダイムシフトのエポックとしてとらえ、当時、私は「脱原発時代を切り拓く、緑の先進国を世田谷から」と予算議会の最終日の3月29日に訴えました。
当時、築地移転問題で転び民主党を除名となった花輪都議が石原都知事の後押しを受け自民党推薦で区長選挙に立候補を表明しました。地元自民党が別候補をたて分裂状態に陥った状況を前に、保坂氏に立候補を打診することを公共事業問題に取り組む市民運動の仲間7人で決めたのが3月30日。そこから保坂擁立は決まったのです。
保坂区長、あなたは、選挙事務所の手配が整うまで、私が借りていた下北沢の事務所に寄宿して、ともに作戦会議を開いていたことをお忘れでないと思います。
補助54号線問題を念頭に置いて「区長は保坂、区議は木下。保坂が通れば道路は止まる。」と選挙戦時に下北沢を連日練り歩いたことを今では懐かしく思い起こします。
ところが、保坂区長あなたは補助54号線を2期3期も含めすべてを認め、一期事業については7年の延伸と60億円の上乗せを決めてしまった。あなたを翻意させるため、公約を守れと頑張ってはきたが、ことごとく裏切られてしまった以上、自らの人を見る目のなさに恥じ入るほかはないのであります。
責任を取り、次期区議選に立候補せず、20年の区議生活を閉じる決意に至りました。
議場は去りますが、憲法問題にまで発展し、佳境に入った下北沢の連立事業と補助54号線、駅前ロータリーを巡る裁判闘争は徹底して闘う決意です。
以上、すべての予算への反対討論といたします。
最後に一言申し上げます。
オール与党体制ほど、政治を腐敗させるものはありません。
なれ合いと包摂を排し、議会においてこそ、少数意見が多数に転嫁しうる機会を具体的に保障することが民主主義にとって一番大事なことではないでしょうか。
さようなら。