下北沢行政訴訟訴訟、行政と住民の和解なる |
シモキタ行政訴訟、参加人保坂区政の意思表明で国・都と住民の「和解」なる
「低層の街並みが地区の生活と文化を育み、下北沢を個性的で魅力のある街としていることに留意し、必要な対応を」
(東京地裁和解勧告より)
まもれシモキタ!行政訴訟の会 事務局 木下泰之
2006年に提訴の補助54号線事業Ⅰ期と区画街路10号(駅前広場)の取り消し、Ⅱ期Ⅲ期事業の差し止め、連続立体交差化事業(以後「連立事業」と略す)の無効確認、2015年提訴の延長認可取り消し等の下北沢地区の小田急線連立事業をめぐる一連の行政訴訟、「まもれシモキタ!行政訴訟」が住民と行政の「和解」をもって一括終結しました。
昨年10月30日に東京地裁民事2部増田稔裁判長より話し合い解決が促され、原告側は下北沢の街の魅力を守るための方策・提言を「オルタナティブ専門委員会」(福川裕一委員長、千葉大学名誉教授、全国街並み保存連盟理事長)に依頼して作成。この「福川意見書」と和解案の概要を裁判所に12月28日に提出。裁判長は3月16日に同意見書を積極評価したうえで和解勧告案を作成し、原告・被告側に提示。一連事業の主な実行者である被告都参加人世田谷区が3月30日に開催された口頭弁論において和解を受け入れる意思表明を行い、原告側は和解案を了承して、裁判取利下げを宣言。4月1日に被告の国と都もこれに応諾して裁判は終了しました。
世田谷区の意思表明の概要は、以下の通り。
世田谷区が、従来の計画を確定的なものとすることなく、自治の担い手である住民と協働して、 ①小田急線跡地(上部利用)についてはさらに小田急電鉄と調整して公共的な空間となるよう整備を進める。 ②補助54号線(第Ⅰ期区間)及び区画街路10号線(駅前広場)についても周辺と調和した連続性のある街づくりを進め、歩行者に配慮する。 ③下北沢の良好な街並みの維持・発展について必要な対応をとる。
補助54号線の第Ⅱ期、第Ⅲ期区間について、昨年12月に東京都や世田谷区が優先整備路線から外す方針が確定した(都は3月30日に正式公表)ことは、和解が成り立つ大きな要素となりました。
従来、幹線道路につながる新規都市計画道路事業の実行計画が下北沢地区の小田急線連立事業認可の条件とされてきたにもかかわらず、中野通り(補助26号線)に繋ぐⅡ期事業、および環七と繋ぐⅢ期の事業計画を優先整備路線から外すことを都も国も了解し、幹線道路からは孤立した1期事業区間と駅前広場(区画街路10号)の扱いにつき「周辺と調和した」連続性のあるまちづくりを進め、歩行者に配慮するとして「道路占用許可の特例制度」を利用するとしたことや、小田急線の地下化後の上部利用につき「公共的な空間となるよう整備を進める」と区が意思表明したことは、これまでの連立事業の進め方の大きな変更宣言でもあるのです。
今回、和解が成り立った背景には補助54号や小田急線の都市計画決定自体に大きな法的な問題があり、このことを原告住民側から証拠をもって都や国は追及され、追い詰められてきたという事情があったからに他なりません。補助54号線は1946年の最初の都市計画決定時に当時の都市計画法(旧法、新法は1969年施行)に規定された内閣の認可を受けていませんでした。これを正当化するために国側は戦時特例の戦後への「延命」という「禁じ手」さえ持ち出さざるを得ませんでした。さらに1964年の小田急線の「複々線決定」が虚偽(1964年決定は別線地下鉄を在来線に張り付けたにすぎず複々線部分の事業地決定はなかったことが、補助54号線の都市計画変更決定図から明らかになった!)である上に、これもまた内閣の認可を受けていなかったのです。
連立事業は全国60か所以上、60兆円を超える道路・鉄道・再開発を三位一体とするわが国最大の公共事業です。官と業(電鉄会社)の癒着した高層大規模再開発の仕掛けとして機能してきた連立事業の在り方に、小田急沿線住民は1990年以降、裁判という手段を使ってその実態を暴くと同時に、大法廷判決を含むいくつかの勝訴と勝利的和解を通じて、情報公開、原告適格の拡大、経堂工区での大規模再開発の抑制と下北沢地区連立事業の地下化への転換、新たな騒音規制等、数々の成果を勝ち取ってまいりました。
今回の裁判での3月16日の裁判所の和解勧告では世田谷区に「下北沢の現在の低層の街並みが地区の生活と文化を育み、下北沢を個性的で魅力のある街としていることに留意し、・・・下北沢の良好な街並みの維持・発展について必要な対応をするものとする」ことを求めています。
1990年に始まった最初の小田急訴訟から26年、下北沢地区の行政訴訟だけでも10年、一連の裁判は証拠と論戦による「熟議」を重ね、連立事業の数々の問題点や本質を浮き彫りにしてきました。その上での和解勧告です。意思表明をおこない和解勧告を受け入れた世田谷区はこの裁判を通じて明らかになってきた問題点をも点検しながら住民と協働して連立事業での新しいモデル「下北沢モデル」を全国に先駆けて創る義務を預託されたというべきです。国も都も今回の和解に応じたわけですから新たな試みは保証されています。
「住民と行政の協働」は言い古された形ばかりの「協働」であってはなりません。住民にとっても、保坂区政にとっても、まさに腕の見せどころではないでしょうか。
(注記)和解の契機となった「福川意見書」や和解関連文書につきましてはHPに掲載してありますので、ぜひお読みください。
福川意見書 http://www.shimokita-action.net/archive/temp/fukukawaikennsyo151225.pdf
関連文書 http://www.shimokita-action.net/archive.html