土建国家型予算に反対(平成21年度予算への討論) |
道路特定財源は余っていると言われますが、一般財源の支出を強いながら余っているのであり、八百兆円とも言われる財政赤字を牽引してきた仕組みそのものです。
財政の健全化の観点からいっても、土建国家から環境国家への転換の観点からいっても、これまでの野方図な道路づくりの元凶である道路特定財源システムを一掃し、日本の経済運営を一刻も早く転換することこそ必要です。
大東京の大住宅地である世田谷こそ、環境政策型ニューディールの問題提起の発信地になるべきであると考ます。
その観点からすれば、土建国家型予算そのものである世田谷区の平成二十年度予算を認めるわけにはいきません。
以下は会議録です。
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土建国家型予算に反対(2008年3月28日 平成21年度予算への討論)
○大場やすのぶ 議長 これより意見に入ります。
意見の申し出がありますので、順次発言を許します。
なお、意見についての発言時間は、議事の都合により一人十分以内といたします。
二十三番木下泰之議員。
〔二十三番木下泰之議員登壇〕
◆二十三番(木下泰之 議員) 平成二十年度予算すべてに反対する立場から討論を行います。
私は、道路を二倍の速さで整備すると言って登場した熊本区政を支持しておりません。いかに今回の予算案について熊本区長みずからみどり予算と自画自賛されようとも、そうは思いません。
既に私は、「環境優先都市への転換を時代は求めている」と題した平成二十年度予算要望書を提出いたしました。熊本区政の根本的欠陥を大場区政時代までさかのぼって指摘しております。ぜひこれについては読んでいただきたいと思います。
言うまでもなく、世界の流れが求めているのは地球温暖化への対応であり、国も、東京都も、世田谷区も、それぞれの立場で最大限の努力を払うべきであります。しかしながら、現実はそうなってはおりません。道路特定財源の一般財源化問題は無駄な道路づくりをやめるか否かの問題でありますが、一方で、日本の産業構造を土建国家のままにしておくのか、これから脱却して環境立国へ向かうきっかけをつくるかの選択の分かれ目であると私は考えております。熊本区長が、今回の議会で道路特定財源問題について一般財源化に反対し、いびつな税金の使われ方の擁護に終始したことは、醜悪のきわみというほかはありません。
道路は、決して道路特定財源だけで整備されているわけではありません。平成十一年度の古い数字ではありますが、当時の建設省の説明では、政府、地方の道路特定財源支出が五兆八千億円、政府、地方を合わせた日本の当時の道路総予算は十二兆八千六百二億円であり、道路特定財源が四五%に対し、一般財源は五五%も投入されているのであります。最近でも年間の道路特定財源は五兆六千億円程度で、全体のその財政支出構造はほとんど変わっておりません。
道路特定財源は余っていると言われますが、一般財源の支出を強いながら余っているのであり、八百兆円とも言われる財政赤字を牽引してきた仕組みそのものなのであります。財政の健全化の観点からいっても、土建国家から環境国家への転換の観点からいっても、これまでの野方図な道路づくりの元凶である道路特定財源システムを一掃し、日本の経済運営を一刻も早く転換することこそ必要であります。
私は、バブル経済後の経済低迷のどん底の時代に、既にこの壇上から何度も申し上げてきたことでございます。日本は土地本位制や土建国家から脱却し、環境に立脚したニューディールを行うべきだということであります。
一九七二年の田中角栄氏の列島改造論は、まさに旧来型の土建国家型ニューディール政策であったわけですが、ライフスタイルから産業編成の大転換を含んだ環境政策型ニューディールこそ、洞爺湖の環境サミットが行われる二〇〇八年の今こそ必要なのではないでしょうか。大東京の大住宅地である世田谷こそ、環境政策型ニューディールの問題提起の発信地になるべきであると私は考えるものであります。その観点からすれば、土建国家型予算そのものである世田谷区の平成二十年度予算を認めるわけにはまいりません。
今回の議会で道路認定され、買収予算がついた下北沢の補助五四号線や駅前ロータリーである区画街路一〇号線は無駄な道路の典型であります。道路によらず、鉄道交通の利便性によって歩いて楽しめる町を体現している下北沢に、今さら駅前ロータリーや幅二十六メートルもの道路は必要ありません。道路特定財源による街路事業として位置づけられている連続立体交差事業は、地元が望まない広過ぎる道路や高層再開発が、国から強制されるシステムそのものです。世田谷区内には、小田急線のみならず、今年度中には京王線が、将来には大井町線や井の頭線でも連続立体交差事業を予定しており、事業について抜本的な見直しを行わない限り、世田谷の住環境は大きく破壊されることになります。
連立事業と並び、外かく環状道路や二子玉川の超高層再開発、これと関連したスーパー堤防なども大規模再開発事業として準備されております。二子玉川東地区再開発には六十億円が計上されておりますが、このうち四十八億円は道路整備に使われます。これらを許容する予算を環境破壊予算と呼ばずして、何と呼べばよいのでしょうか。
区が緑保全事業の目玉としている厚生年金スポーツセンターについて見てみましょう。民間に売却するのを世田谷区が買うことで緑地を守るとし、今年度は八十億円を計上し、次年度にも八十億円を予定しております。しかしながら、区が買収するこの土地はもともと公園予定地であり、しかも、経営的には黒字である厚生年金施設を民間に売却すること自体が非難されなければなりません。世田谷区の支出分は、後に国の一般財源から全部補てんされることになるわけで、とどのつまり、結局は年金不祥事の後始末を税金を使って行うことの手助けをしていることにほかなりません。こんな茶番を許してはなりません。
また、世田谷区が緑を本当にふやそうとするのであれば、下北沢地区の小田急線連続立体事業での事業跡地を買い上げるなどして、新たな緑地をふやすことに真剣に取り組むべきだと思います。熊本区長の掲げたみどり率三三%目標の政策は、公園用地と道路の街路樹を整備することを主軸とし、膨大な買収予算のみを示す政策ですが、この政策のみでは目標を達成できないばかりでなく、世田谷が本来守るべき緑はこれからも消失してしまうことになるでしょう。
世田谷の緑は庭の緑で守られてまいりました。これを守るためには、高層化の誘因となる道路計画の野方図な増殖を許さず、高層マンション群の建設を抑止する規制策をとらなければなりません。また、人口増加の抑制や過度の車依存社会からの脱却、辛うじて支えるというサスティナブルの真の意味合いを理解した上での持続可能な、つまりはサスティナブルな社会の構築が急務であります。
残念ながら熊本区長の政策は、都市政策においても、ごみ政策においても、産業政策においても、教育政策においても、福祉政策においても、そのようなものとはなっておりません。サーマルリサイクルの導入とガス化溶融炉稼働は、まさにマイナスカーボン社会に逆行する政策そのものであります。
さらに、住民参加や住民自治は町会や商店街といった既存団体の育成擁護を続け、行政系NPOをふやしていくことを主軸に置いては、真の意味での持続可能社会は実現しないばかりか、市民的な自由を阻害するものになってしまいます。危惧されるのは、現在行われている安心安全政策も、せんじ詰めれば警察・公安主導のものであり、市民的自治となっていないことが問題であります。そうではない区政、市民が、子どもが、老人が、もっともっと生き生きと暮らせる自治共同の町を、社会を、私たちは目指すものであると考えるものです。
さて、今回の予算の各会派の対応に私は大きく戸惑っております。熊本区長に対抗馬を立てた会派は、少なくとも一般予算に賛成するべきではないと私は思います。選挙で争った争点が消えてなくなったわけではありません。全国政党であれば、国政と区政は整合がとれていなければ、市民の信頼は得られないでしょう。また、今の緊迫した国会の政治状況であればこそ、道路特定財源をめぐっての攻防は、具体的な事例を抱える地方にこそあるのではないでしょうか。
バスに乗りおくれるなという言葉が戦前の政治史の中に出てきます。翼賛体制に走り、誤った道に進んだ歴史を思い起こす必要があります。どこ行きのどんなバスであるのかを見きわめる必要があるのではないでしょうか。昨秋の国政での大連立騒ぎを忘れるわけにはいきません。権力や体制についてはチェックを怠ってはなりません。加えて、二元代表制である地方議員たるものは、行政と一定の距離を置く必要があります。
ところで、学校耐震調査結果を教育委員会が不当に秘匿してきたことを予算審議の中で取り上げました。学校が震災時の避難所となるだけに、この秘匿問題は人の命にかかわることであり、区政の根幹にかかわるものであります。この秘匿に加担した区長は安心安全を語る資格は既にありません。
本来、だれに対してでも公平であるべき情報公開制度を人によって使い分ける役人がおり、居直って恥じない役人がおります。少なくとも、まさかそういうことはないと私は思ってまいりました。しかしながら、そのことが現実に起こりました。そのことを気にとめない区長や教育長がいる。残念ながら、これが世田谷区政の現実であります。
小田急線の問題での情報操作問題は既に取り上げてまいりましたが、ここに至っては救いようがないと言わざるを得ません。二度とだまされないと申し上げ、無党派市民の予算案に対する反対討論といたします。
○大場やすのぶ 議長 以上で木下泰之議員の意見は終わりました。